北九州市「ぬか炊き」の奥深い味わいは、代々伝え継がれたお母さんの味です。
歴史のこだわり
時代を超え、守り続けられたぬか床文化です。
小倉城下では、100年を超えるぬか床を持つ家庭も少なくありません。中では、400年近く受け継がれているというぬか床もあるそうです。
江戸時代に小倉城主が広めたというぬか床を大切に守り続け、それは食生活に欠かせないものとなりました。
また、「ぬか炊き」も各家庭作られており、呼び名も「ぬか炊き」の他に、「ぬか味噌炊き」「じんだ煮※」等さまざまで青魚のほかにも、ちりめんや鶏肉、たけのこ等で炊くこともあります。
※「じんだ(糂汰)」とは、ぬか味噌の別名で、鎌倉末期の随筆「徒然草」の中に出てくる言葉です。
味のこだわり
手間をかけたぬか床が味わいを深めます。
ぬか炊き」は青魚等の食材をぬか床のぬか味噌で「炊いた」ものです。 小倉のぬか床には、唐辛子やこんぶのほか、山椒を加えることが大きな特徴で、ピリッとした刺激が味を引き締めます。
脂の乗ったいわしやさばを丁寧に下処理し、各家庭に代々伝わってきた香辛料の香る熟成ぬか床を加えることで、複雑で奥行きのある味わいに仕上げます。
最近では、イワシやサバ以外に、ちりめん、さんま、筍、椎茸、鶏肉、卵、蒟蒻など、さまざまなぬか炊きが出てきています。
北九州ぬか炊き文化振興協会
会長 藤田 浩三
私が幼い頃、各家庭にはぬか床があり、毎日の副菜として季節の野菜を漬けたぬか漬けが彩りを添えていました。 そして、旬のおいしい青魚が手に入ると、そのぬか床で炊いた「ぬか炊き」が主菜として食卓に並ぶのです。 しかし、生活が忙しくなる中で、ぬか床が維持できなくなった家庭も増え、私達メーカーが「ぬか炊き」をつくり始めました。 各社が郷土の思いを込め、それぞれ自慢のぬか床で炊き上げる「ぬか炊き」をぜひ、全国のみなさまにお召し上がりいただきたいと思います。
健康のこだわり
現代の食生活に必要な発酵食品です。
ぬか床は、毎日かき混ぜて「世話をする」ことで、野菜についている微生物の中の乳酸菌や酵母菌が ぬか床に浸透し、更なる熟成や発酵につながります。状態のよいぬか床では、1gに乳酸菌は1億~10億、 酵母菌は100万~1000万存在すると言われています。ぬか炊きの調理過程で乳酸菌は死滅しますが、 ペプチドグリカンという乳酸菌の細胞壁は残り、体内の有害成分を吸着し、体外へ運び出すなどの作用が あります。また、青魚にはカルシウムをはじめ、カルシウムの吸収を促進するビタミンDが含まれます。 煮汁には青魚から溶け出したn-3系多価不飽和脂肪酸(EPA、DHA)が一定量残ることから、煮汁と一緒に ぬか炊きを食べると、さらに栄養価がアップします。
西南女学院大学
近江雅代 教授
青魚をぬかみそでじっくり炊く「ぬか炊き」は、「ぬかみそ」と「青魚」の栄養を丸ごと摂ることができ、 骨粗鬆症や生活習慣病の予防に効果的です。北九州の伝統食であり、北九州発祥の「健康食」と言えます。
郷土史家
馬渡 博親氏
小倉でのぬか床の初見資料は江戸時代初期。関ヶ原の戦いの後、小倉城を築城し、豊前国を治めた細川忠興の時代の古文書が残っています。 中津へ隠居した忠興とその息子の忠利との間の書状に「ぬか味噌」が登場します。 1626年(寛永3年)「ぬか味噌一桶給り、味能、満足せしめ候」と、忠興から送られたぬかみその味に満足していた様子がうかがえます。 その後、国替えで小笠原藩が治めるようになりましたが、初代藩主小笠原忠真もぬか漬けを好んで食べていたようです。 ぬか漬けを「床漬け」と呼ぶのは、小笠原氏がぬか漬けの桶を大切にして「床の間」に置いたとの言い伝えもあり、城下の人々に広まっていったと言われています。